top of page

意見を持つ事がいつも正しいとは限らない

どうでもいい話なんですけどね。

あまり特定の個人を叩いたりするのは良くないと思うんですけどね。


たまにびっくりするんだけど、ひろ〇きとかホリ〇モンとかの言葉をめちゃくちゃ信用している人がいるよね。


いや、そりゃ二人とも経営なり運用なり経験があって、良くも悪くも話題性や実績があるから、分からんでもないんだけど。正しいことを言っているときもあるし。

ただ、この人たちは(正誤や事の是非にかかわらず)お前は人の心がないんか?』みたいなことを言ってる時もそれなりにあって、私が心配?してるのは、そっちに対して同調してる人のことなんだよね。


前に脳みそ空っぽにして他人の言葉を借りて語った気になるなよ的な記事を書いたんですけども。

結局『自分の意見語る自分かっけー』的な発言に憧れてるだけで、その発言自体についてじっくり自分の頭で考えずに賛同してしまっているんじゃないかって。


そういう人がいわゆる『世論』に流されるタイプの人なのかなぁ。

例えば『宗教』や『政治』の話になるとアレルギーが出たり、馬鹿の一つ覚えのように極端な事しか意見しか言えなくなるのも、そういうのに近いのかもしれない。


私も常々『自分の意見はちゃんと言うべき』と思っている人間だけれども、そこに人間のモラルや善性が無い場合は、思っててもいいけど言うべきではないと思う。

混合されがちだけど『意見を持つこと=意見を言うこと』ではないんだよね。正論で人を殴るのも、良し悪しというか。そうしてはいけない時、というのは絶対にある。

多分ここの判断が一番、人間性というものが出るんじゃないかな。

まぁ、私もその点においてはまだまだですけど。


有名な言葉で『正しくたって価値のないものがあるように、間違っていても、価値あるものはあるんじゃないか』というのもありますしね。そういう考え方を持つのは大事なことなんですよ。

みんな、幻想水滸伝、やろう!(※幻水ビクトールのセリフ)



タグ:

0件のコメント

関連記事

すべて表示

Comentários


bottom of page