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SNSと無知の大衆

TwitterもといXが傾き始めてから、色々なSNSに触ってきた。Xから他所へ移ったユーザーが、決まって言いがちな言葉がある。


『Twitterより色んな機能がある』

『Twitterよりユーザーが優しい!』

『Twitterよりネガティブな話が少ない!』

『Twitterより政治や宗教の話が少ない!』

『Twitterより自由に発言できて居心地良い!』


一番上と下はさておき…真ん中の3つについては、これはもう理由は明白。

それは『他所のSNSの方が、Twitterよりユーザー数が少ないから』である。


そもそもTwitterの強みは機能よりも、あのアホみたいなユーザー数を抱えながらも安定して機能していること。

何も考えずに使っているユーザーからすればピンとこないかもしれないけど、その点については素直に認めなければいけない事実なのだ。(最近はこの安定性も透明性も傾いてきたので、それを不安視する声がライトユーザー以外にも多いというわけ)


また、ユーザー数の多い・少ないは、管理のしやすさにも影響する。

かつてSNSはインターネットにある程度強い人間(掲示板や個人サイトからの移民等)が多く使用していたが、今はいわゆる『無知の大衆』がユーザーの大半を占めている。



この『無知の大衆』というのが、どのSNSにおいても厄介なのだ。



具体的に言えば『無知の大衆』は、


・他人の言葉や情報に簡単に流され騙される

 例)みんなが言ってる・やってるという思考等

・関心事しか見ようとしない(無関心なものは排除)

 例)地雷、政治・宗教・報道アレルギー等

・利用規約やヘルプや設定を見ない

 例)調べずに誰かが教えてくれるまで待つ等

・無責任に他人の言葉に便乗して拡散&発信する

 例)真偽を確かめず拡散する等

・フォロワーや反応の数などの表面的な情報で判断

 例)フォロワー数が多い人が言っている事は正しい等


こういう人を指す。

これは私の中の定義であり、この記事でしか役に立たない情報なので、覚えてもらわなくてもいい。

ただ、こういう人はきっと多く目にした事があるだろうし、自分が該当するという人も多いだろう。


いきなりだが『エコーチェンバー現象』や『フィルターバブル』という言葉を、聞いた事はあるだろうか。

ざっくり適当にかいつまんで説明すると、


エコーチェンバー現象

自分と同じ意見を持つ人とばかり交流し、他の意見に触れる機会が少なくなることで、自分や所属するコミュニティの意見が正しいと思いがちになること。

フィルターバブル

情報環境が狭まり、自分の意見や興味に合致する情報だけが表示されて、合わない情報から隔離されること。


オタクは好きなものに傾倒するという傾向にあるため、とりわけこの二つの現象は身近なものだと考える。

自分の好きなものや関心のあるものだけを傍に置き、自分の所属・コミュニティの結束が強まる…その結果『社会的分断』が進み、他の所属・コミュニティ…つまり異なる価値観を持つ人々に対して、不寛容になってしまう恐れがあるのだ。


恐れがある…というか、既にTwitterの頃からそうなっている。

だからこそ『界隈ルール』のようなものが出来、そうした『集団からはみ出た者』を見ると、どこか居心地悪く感じてしまうのだ。(地雷が極端に多い・極端に除外しようとする人にもそういう傾向があるかもしれない)


さっき挙げた言葉の中に『Twitterより自由に発言できて居心地良い!』というものがあったが、それもまた強い集団意識によるものだろう。


ほとんどの人は周知の事とは思うが、Twitterでは規約に違反していなければ、あるいはセンシティブワードが含まれているものでなければ、別にNGとしている話は無い。(他のSNSも大体はそうだろう)

『Twitterでは好きな事が言えない』というのは、ユーザーが周りを見て勝手に気遣い、勝手に思い込んでいる…いわゆる『界隈ルール』にすぎない。

先に述べた『社会的分断』により自分と異なるものを無意識に嫌い、除外したがる。それを自分にも他人にも押し付けるがゆえに、集団の中で勝手に苦しんでいるのだ。


こうした集団心理に流される人は、情報の正誤が判別出来ないことも多い。

例えば私がよく見るのは、今使っているSNSを褒めるため、わざわざTwitterを悪く言う人なんかがそうだ。(単なる個別の評価・批判である場合は無論除く)

SNSに限らず、友達や同僚を褒めるために、他の友達や上司・部下と比較したり貶す人を見たことがある人も多いだろう。

自分の好きなものを良いと表現する時に、類似した何かを下げて比較する…というのは、手っ取り早く簡単な手段なのだ。(自戒)


色々と話したが、集団心理を重んじすぎるがために個を蔑ろにしたり、サービスの質の良し悪しとユーザー数が多いがゆえの弊害をごちゃまぜにしてしまったり…こうした『無知の大衆』の集合体が『SNSの管理しにくさ』『居心地の悪さ』を生むと私は思っている。

そしてその『無知の大衆』は先にも述べた通り、物事の正誤よりも好き嫌い、数字や人などの集合体などに容易に流されるため、意識が変わるという事もほとんど無いのだ。



どのSNSも、人が増えればおかしな人も増える。問題も増える。

無知の大衆も増える。勝手なルールを持ち出して自治しようとする迷惑な善人も増える。

知識人や商売っ気の強い人間も増える。



しかし、そうしたものを住み分けにおいて完全にシャットアウトしてしまうと『社会的分断』が生じて、必要以上に受け入れられなくなってしまい、結果的にSNS疲れという悪循環に至ってしまう。(※分かりにくいですが、これがこの記事のまとめです)


それだけは、SNSを使うにあたって心にとどめておかなければいけない(戒め)



👉余談

この記事を書きましたというお知らせと共に、内容を抜粋した画像を添付して投稿したところ、意外と色々な人に拡散されました。アリシャス!!!

が、その割には実は記事の閲覧数は伸びておらず、奇しくも『無知の大衆の何たるや(拡散された情報の上澄みだけしか見ていない)』が、身をもって(?)証明されました。

興味深い話だね。



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